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◆◆がん治療の大革命!◆◆
光免疫療法を生んだ研究者の情熱と秘話! 現在、治験の最終段階にあり、認可されれば、がん治療に大革命を起こすと期待される光免疫療法。今週発売の「週刊現代」に、その開発の裏で資金不足に泣き続けた研究者の汗と労苦の物語についての特集があったのでご紹介します。 夢のがん治療「光免疫療法」早く実用化されるといいですネ♪♪ (記事内容) ◆がんが「過去の病」に…? 昨年12月8日、スウェーデン・ストックホルムで京都大学の本庶佑特別教授が、ノーベル賞記念講演を行った。受賞に日本中が沸き、本庶氏が開発に携わったがん免疫治療薬「オプジーボ」は誰もが知る薬となった。 その3週間前、東京の千代田区、平河町。 消化器癌発生学会総会で行われた、ある研究者による講演は、本庶氏の記念講演ほどはメディアの注目を集めていなかったかもしれない。 出席者も専門家だけなので、会場も満員ではなかった。だがこの日、集まった日本中のがん専門医や研究者たちは、確信した。 「この治療法が確立したら、オプジーボどころの騒ぎではない。がんは結核のように『過去の病』になるぞ……」 登壇したのは、小林久隆氏(57歳)。世界最高峰のがん研究機関である米国立がん研究所(NCI)の主任研究員だ。 小林氏が開発した治療法は、光免疫療法という。国立がん研究センター東病院副院長の土井俊彦氏が解説する。 「光免疫療法は、がん細胞の膜を物理化学的に破壊する画期的な治療法です。副作用が少なく、しかも眠っていた免疫細胞を活性化させて、がん再発の抑制効果まで期待できる、まったく新しい治療法なのです」 実現すれば、医療の歴史を大きく塗り替え、長年にわたってくり広げられてきた人類とがん細胞との闘争に決着を付けることになる。小林氏はいかにしてこの治療法を発見するに至ったのか。その道のりは決して平坦なものではなかった。 兵庫県西宮市で生まれた小林氏は、関西の名門、灘校を卒業後、京都大学の医学部に進学した。 「大学では病理学の研究室に在籍していました。'80年代後半当時は、後のオプジーボなどにつながる免疫抗体研究の黎明期でもありました」(小林氏、以下同) 病理学とはがんの外科手術で採取した細胞を検査したり、薬物治療による細胞の変化を観察したりする学問。だがその後、小林氏は大きな「回り道」を経験する。 「がんの研究をするにしても、一度、臨床を経験したほうがいいと思いました。そこで放射線科の医師として働きはじめたのですが、結局11年も臨床の現場で働くことになったのです」 日進月歩の医科学研究の世界において、10年を超えるブランクはとても大きい。論文の数が少なく、研究実績がないと見なされれば、研究に必要な資金を引っ張ってくるのも至難の業だ。 「実際、その後、長きにわたり極貧の研究室で働く羽目になりましたよ」 もっとも臨床医としての経験が、小林氏のがん研究者としての礎になっていることも確かだ。 「臨床の現場ではいろいろと感じるところがありました。そもそも人体に有害な放射線を当てて治すこと自体が、非常に乱暴な治療法です。 がんを退治してくれるはずの免疫も徹底的に壊れてしまいますから。がんの治療には、そんな野蛮な方法しかないのかと悩ましく思う日々でした」 ◆自腹で研究するしかない また、日本の医療では、まずは外科手術を試み、それが難しいとなると内科で抗がん剤治療をする。それでも治せない。 本当に厳しい状況の患者ばかりが放射線科にやってくる。手の施しようなく、無力感に苛まされることもしばしばだった。 「ずっと研究室で実験をくり返していれば、もっと早くに研究者として食っていけたかもしれません。しかしそれでは、どうすれば現実の患者さんを救えるかという問題意識は育たなかったと思います」 臓器を大きく切り取ったり、放射線で傷めたりすることなしに、がんを退治できないものか。多くの末期患者と接して、ときに現代医療の限界に打ちひしがれた経験は、その後の研究の出発点になった。 研究室に戻ってから、アメリカ、NCIでフェローの口を得た。NCIは言うまでもなく、世界トップレベルの研究者たちの集まり。 フェローという助手のような立場だが、大いに刺激を受けて帰ってきた。 「帰国後は京大の寄附講座の助手という立場で研究をすることになりました。その頃は本当に資金不足に泣かされました。 そもそも科研費が足りないだけでなく、例えばアメリカの最先端の器具を購入したいのに、日本に輸入代理店がないので、科研費を使わせてもらえないといった、さまざまな問題がありました。 100万円もするような薬剤や機器を自分の財布から持ち出しで買わなければ研究が続けられない。でも、NCIで世界の研究者たちのスピード感を見てきた直後でしたから、研究のレベルを落としたくなくて必死でした。 国立大学助手の年収は500万円にも満たなかったので、持ち出しは大きな痛手でしたね」 少しでも節約するために、普通は使い捨てするような実験器具も洗って加熱滅菌して再利用した。それだけ実験に時間も労力もかかるが、他に道はなかった。 このままでは資金が続かないな……。 研究費の壁はあまりに高く、日本の大学で研究を続けても埒が明かないと悟った。研究者としての道をあきらめて医者になるか迷う日々が続く。 だが、小林氏には現在の研究につながるコンセプトがあった。最後の可能性にかけたい―その一心で'01年、40歳を前にもう一度アメリカにわたることを決意。 日本で出番がない野球選手が大リーグを目指すようなものだった。 「与えられたポストはシニアフェローというもの。ボスの研究の手伝いをしながら、空いた時間で自分の研究を進めるという条件でした。 実験に使う機械が空くのが夜中だけなので、昼はボスの手伝い、夜中は自分の研究。毎日のように研究室に寝泊まりする状況でした」 '04年、地道な研究が次第に認められ、NCI分子イメージングプログラムで主任研究員として働くことになった。まさに遅咲き、43歳にして、ようやく一国一城の主として、自分の研究が存分にできるようになった。 ◆新しすぎて理解されない ただし、この頃は直接的ながんの治療法を研究していたわけではない。 「当時は、主にがんのイメージングの研究をしていました。つまり、どこにがん細胞があるのか、画像で判断するための研究です。がんを光らせる蛍光物質を体内に入れて、光らせるというコンセプトでした」 ところが、'09年に不思議なことが起こる。 実験でがん細胞を光らせようと近赤外線を当てていると、次々とがん細胞が死滅していく様子が観察されたのだ。 「最初はなにが起こっているか、わかりませんでした。しかし、よく観察すると近赤外線の当たったがん細胞だけが、風船がはじけるように次々と破裂していくのです。それから、光免疫療法の研究が始まりました」 この世紀の発見を簡略化して説明しよう。 がん細胞だけに結合する抗体に、光る色素「IR700」をくっつけて静脈注射で体内に入れる。IR700は、近赤外線を当てるとすぐにそのエネルギーを吸収、化学反応を起こし、がん細胞の膜に小さな傷をつける。 いくつか傷がつくと、がん細胞はものの1〜2分で死滅するのだ。 「外科手術、抗がん剤、放射線治療とこれまでの主流の治療法はどれも、本来がんと戦ってくれるはずの免疫機能を著しく弱まらせる。 また、(オプジーボなどの)免疫療法は免疫を強化してはくれるが、それ自体はがん細胞を殺しません。 一方、光免疫療法では、がん細胞が壊れて減るのに免疫細胞を弱まらせることもない。むしろ免疫細胞を活性化させることもわかってきた。 しかも、ほぼすべてのがんに効果があって、副作用も少ないのです」 発見から3年後、'12年にはオバマ大統領が一般教書演説で、小林氏の研究の可能性について触れるなど、世界の注目は集まっていく。 しかし、光免疫療法の理論は確立できたとしても、それを臨床試験の段階にまで進め、特許を獲得するには無数のハードルがある。当然、そのためには莫大な資金もいる。 もたもたしていると、小林氏のアイデアに目をつけた資金力が豊富な研究室や製薬会社が先に試験を始めてしまうかもしれない。 画期的ながんの治療法を見つけようと、世界中の製薬会社はしのぎを削っている。何兆円という巨額のカネが動く世界では、小林氏の研究室など、吹けば飛ぶような存在なのだ。 「'12年には特許をサンディエゴのベンチャー企業アスピリアン社にライセンスしました。 しかし、ビル・ゲイツの財団などいろいろなところを回り、臨床応用の資金を得るための会議に加わりましたが、なかなかおカネを出してくれるところは見つかりませんでした」 しっかりとしたコンセプトはあるのに、試験が進められない。まったく新しい治療法だけに、周囲の理解が追いつかないという側面もあった。 だが'13年4月、サポートしてくれる人物が現れた。 「楽天の三木谷浩史会長です。当時、三木谷さんはお父様が膵臓がんで闘病中で、世界中のがん治療の最先端を熱心に見て回っていました。 私の親戚が神戸で洋菓子屋をやっていて、楽天市場に早い段階から出品していました。 同じ神戸出身という御縁もあり、三木谷さんとは古い付き合いだった。その親戚を通じて、私の研究の話を聞き、興味を持たれたらしい。 実際に会って話を聞いてみると、専門家が驚くほど詳しくがんのことを勉強されていた。科学的な内容までよく理解されているので、私の研究に対しても即断即決で支援をしてもらえることになりました」 現在、三木谷氏は楽天アスピリアン社の会長という立場で光免疫療法の臨床試験を推進している。グローバル第?相試験という最終段階で、日本を含む世界中の病院で試験が進行中だ。 これが承認されると一般の人も実際に治療が受けられるようになるだろう。 「現在、試験を行っているのは頭頸部がん。顔や頭の近くで手術が難しいことと、光を当てやすいという理由からです。 もちろん、光免疫療法は他のがんにも効果があるはず。内視鏡を使って光を当てれば、内臓系のがんにも対応できる。最終ターゲットは、とても難しいがんといわれる膵臓がんです」 ◆もうすぐ臨床段階に 光免疫療法が画期的なのは、その効果の高さだけではない。治療法がとても簡単なのだ。 「できるだけシンプルでコストのかからない治療法にしたいと考えてきました。実際、実験で使っている近赤外線の照射装置は300万円ほどです」 現実の臨床で使われる機器の価格は未定だが、これなら小さなクリニックにも設置可能だろう。 認可された当初、オプジーボは年間3500万円かかる超高額薬として有名になった。しかし光免疫療法は治療コストも安価に抑えられる可能性があり、日本の医療費が極端に膨らむということもなさそうだ。 ちょっとがんができたから、クリニックに行ってくる― それくらい気軽にがんを治療できる時代が、すぐそこまで来ている。 さらに既存の免疫療法との合わせ技も期待できる。1月25日、小林氏が米医学誌に発表した論文によると、光免疫療法を実施後、免疫チェックポイント阻害薬を投与すると8割以上のマウスでがんが完治し、再発もなかった。 「私はよく冗談で、『光免疫療法はあまりにシンプルな治療法なので、これではノーベル生理学・医学賞は獲れないよ』と話しています。それほど簡単な仕組みなのです。 しかし、裏付けとなる理論はできるだけ精密かつエレガントに構築しているつもりです。だから、仮にノーベル賞をいただけるとしたら化学賞のほうかもしれませんね」 そう語る小林氏の微笑みは、穏やかだが確固たる自信に満ちている。臨床試験の最終段階で、超多忙な日々を送っているはずだが、自身の健康管理はどうしているのか? 「まったく気を付けていませんね。まさに医者の不養生そのものです。でも、摂生しないで自分ががんになっても怖くありません。 臨床試験を通過していなくても、自分で自分の身体を実験台にすることは法的に可能です。まだ認可されていない光免疫療法で、がんを退治してやりますよ」 人類とがんの最終戦争の決着は近い―そう信じさせてくれるに十分なユーモアに溢れていた。 (引用元)「週刊現代」2019年2月16・23日合併号より
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